1chipMSX プレゼントキャンペーン 当選者発表!
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お待たせしました!本当に多数のご応募をいただいたため、選考に時間がかかってしまいました! 素敵な思い出の数々をお送りいただき、ありがとうございました。 ご当選は以下20名の方々です。おめでとうございます! |
神奈川県:Sさま
小学生の頃、父が突然買ってきたNationalのFS-4500。
熱転写プリンタ一体型の珍しい機種でした。
BASICの入門書を買ってみるも、小学生の独学ではチンプンカンプン。
しかし、ゲーム音楽が大好きだったこともあり、MMLを使ってPSG3和音で音楽を鳴らす事に興味を覚え、ゲーム音楽の楽譜を手に入れてはMMLを打ち込む毎日。
中学の時にFMPACが再販され、親に頼み込んで購入してもらい、2オペレータがながらもPSGとは桁違いの表現力に更にのめり込む。
高校の入学祝いに最後のMSXとなるFS-A1GTを買ってもらい、MIDIを始める。
もっと音楽を知るために吹奏楽部に入り、ピアノ教室にも通い、高校卒業後は音楽学校へ進学。
MSXと出会わなかったら別の道に進んでいただろうと思うと、とても感慨深いです。
スタッフより:パソコンの入門機という位置づけだったMSX。その音源性能ゆえ、音楽の入門になったという方も結構いるのではないでしょうか。
東京都:Kさま
10年前、大学生になった頃が、自分の中での二度目のブーム。
MSXを触ったことがある、という友人が4人も居た。
勿論触ったことがない人間も巻き込んで、MSXで騒ぎながらの飲み会を幾度と無く開いた、馬鹿馬鹿しくも愉快な大学生の頃の夜。
プレステも有ったのに、もっぱらMSXを引っ張り出しては、ワンキー入力のゲームでハイスコアを競いながら飲んだ。
またあるとき、MSX情報誌の没作品を発表するコーナーの中に、妙に気になったタイトルがあった。
その「気分は○○○○○○○」を、友人もたまたま覚えていた。なにせボツの作品、内容は解らない。
こういうゲームだったんじゃないだろうか、と協力してプログラミングし、作った対戦ゲームを、その後HP上で公開した所、元々の作者から「そのタイトルに覚え有り」と連絡がきた!
あの1行のタイトルと、MSXから、こんな経路の人間関係ができるとは想像もしていなかった。
スタッフより:古き良き時代を共にしたMSX仲間との思い出話は尽きないことでしょう。MSXがつくる友人の輪が今も広がり続けるというのは不思議ですね。
東京都:Hさま
中学2年の時に、NATIONALのCF−3000を購入。
友人達がファミコンに熱中してるのを羨ましがりながら、BASICを必死に覚える。
なぜなら、友人宅で遊んだファミコンゲームを自宅で再現したかったから。(w
高校生になって、アルバイトしたお金でPANASONICのFS−A1を購入。
友人のプログラムがマイコンBASICマガジンに掲載されたのをきっかけに、自分も投稿を始める。2本製作して両方とも掲載されたのが嬉しかった。
高校3年の夏休み、MSX2のソフト製作で著名だった、某C社でアルバイトさせてもらえることになった。
高校卒業後は正社員になり、その後、約3年勤めましたが、素晴らしい仲間と共に10数本のMSX2のソフトを製作。
多くのユーザー達に遊んでいただきました。
スタッフより:ファミコン全盛期に発売されたMSX。自分の作ったゲームを多くの人に遊んでもらえるのは、ゲーム製作者の大きな喜びですね。
広島県:Aさま
厳しかった父。
当時はやっていたファミコンは勉強の為にならないと買ってもらえなかったので、パソコンの勉強目的と言ってやっとの思いでMSXを買ってもらった。
もちろん小遣いでこっそりとゲームを買い、『王家の谷』とか、『イーアルカンフー』など楽しんでいた。
兄と二人でこっそり買い集めたゲームもいつの間にか10本を超え、とうとう父の目に留まることになる。
父は出かけていない日曜日、兄と二人でゲームをしながらはしゃいでいた。
父が家に帰ってきたのも気づかない位に。
ふと振り返ったときには父は鬼のような表情。
しまった・・・と兄と顔を見合わせるが時すでに遅く、父は倉庫から大きなハンマーを持ち出し、TVの上に置いていたMSXを思いっきり「がしゃーん」と。
今でもその時の飛び散るキーボードと、ひび割れた画面から火を噴くTV、怒っていたのか驚いているのか判らない父の顔が今でも忘れられない。。。
スタッフより:私もファミコンを買ってもらえずMSXユーザーになった者として、気持ちがよく分かるエピソードです(笑)
大阪府:Oさま
僕がまだ小学生真っ盛りだった頃。
当時は空前のファミコンブームで、僕もご多分に漏れず、かなり気合の入ったファミコン少年だった。
そんなある日、とある友達の家に遊びに行くと、ファミコンとは違う見慣れないゲーム機があった。
ボタンだらけのキーボード、初めて見る形のカセット。
名前をMSXと言った。
僕の好奇心は一気に沸点に達し、ぜひ遊ばせてほしいと懇願した。
そのゲーム機は友達の兄の物で、アクションゲームと、クイズ形式のBASICの学習ソフトの2本しかなかったが、なぜか僕はそのBASICの学習ソフトがいたく気に入り、次々とレッスンを重ねていった。
友達にはそれは面白く見えなかったらしく、すぐに別のゲームで遊ぼうと言われてしまったので、僕のBASICレッスンはそこで終了した。
それから20年が経ち、僕は今、世界中の人達に向けて、ゲームを作る仕事をしている。
僕の作るプログラムのほんの欠片には、MSXのDNAが含まれているかもしれない。
スタッフより:自分でコンピュータを制御する楽しみを教えてくれたMSX。そのDNAはきっと世界のゲーム好きに継がれることでしょう。
茨城県:Tさま
私がMSXと出会ったのは小学生4年生の時。
当時のパソコン情報誌といえば「ベーマガ」。
ゲームのプログラムリストが紙面に掲載されていて、そのリストを自宅のマシンで再現すれば、紙面と同じようなゲームが楽しめるというものだった。
このコードを一字一句間違えただけで、ストップした、間違えてる箇所を直して再スタート&エラー。
これを繰り返していくうちにゲームは完成していくのだが、この作業が結構大変だった。
3000行もあった大作を打ち込み終える間際に、MSXのことを何も知らない友達がやってきて、これなに?とカセットのスロットに手を突っ込んでしまったのだ。
当時のスロット内部には強制的にマシンをリセットする機能があり、運悪くそのプログラムコードを保存していなかったので、4時間近くの作業が一瞬にしてパー。
その友達と喧嘩になったのはいうまでも無い。
スタッフより:MSX関連雑誌にはゲームソースが掲載されていたりして、打ち込みをすれば誰でも遊べるゲームが数多くありましたね。楽しそうなゲームほどソースコードが長いんですよね(笑)
埼玉県:Tさま
当時、勉強しないということでゲーム機を買って貰えなかった僕ですが。
これは勉強のソフトもあるよ!と何とか母親を説得して買って貰ったMSX。
しかし案の定、夜にコッソリ起き、当時話題の魂乗り移りゲーム『レリクス』で兎の肉体に乗り移ってはゲームオーバーの毎日。
そして起こるべくして起こった第一次MSX行方不明事件。
犯人は奴だ…!
しかし子供の自分が権力の力に敵う訳も無く、涙で枕を濡らす日々が続くも、お年玉と小遣いを数年溜めようやく新MSXを買うに至る。
「やたー!スピードコントローラー付きだぜ!」などと小躍りした翌日、学校から帰ると第二次MSX行方不明事件発生。
流石に犯人に詰め寄るモノの「捨てた」の一言に脱力。
泣き崩れる僕の後から父親が「母さんには内緒だぞ。夜にゴミ捨て場から拾ってきた。」と僕にMSXを渡してくれました。
あの時の父親には感謝してもしきれません。
そんな僕は今ゲームを作る仕事に就いています。
スタッフより:親の教育方針がなんと大きなハードルだったことか…。お父さまがMSXを拾ってきてくれなかったら人生が変わっていたかもしれませんね。
埼玉県:Kさま
それは懐かしい想い出。出会ったのは小学5年。
友達の家に富士通のFM-Xが有り、その時遊んだ『スパーキー』というゲームにハマリ、勉強用ソフトもあるから勉強出来る!買って!という、姑息な手段で親を説得して、東芝のHX-10Dを買いこの世界へ。
当時は、テープに保存するのが当たり前。
雑誌のプログラム入力完了時に、保存する事を忘れ実行して、暴走して泣く泣く電源を切る事も。
このころ、どのソフトも今よりは画面も音も貧弱で、単純だけれど面白い物が多かった。
MSX2になり綺麗になったグラフィックを見て、CGをやってみたいと思うようになり、その後CGの学校を卒業した。
当時、アセンブラを覚えた友人と、「ソフト会社を造るんだ!」と意気込んでいたのもこのころ。
今はその友人は、実際にソフト会社を興して社長をしている。
自分は当時から蓄積したPCの知識を元に、会社でSEをしている・・・まさに人生を決定づけたMSXとの出会い。
スタッフより:MSXが出始めた頃はまだフロッピーディスクも普及してなく、カセットテープがデータ保存に使われてましたね。まさにMSXを入門機として人生を切り開いたエピソード。
熊本県:Kさま
初めての出会いは15才の春、それは故宮尾すすむが司会するテレビショッピングだった。
真っ赤なボディのPAXON製MSX1、当時パソコン知識ゼロのボクは(『TRON』みたいな!)CGを描くためと、父にせがんで購入したのだ。
しかし、そのグラフィック能力は驚く程(当たり前!)低く、微妙なセレクトの16色と8ドットに1色しか置けない表示制限に愕然としてしまった。
結局まともな絵など描かずPAXONは高価なゲーム機となった。
なけなしの金をはたいて買ってくれた父を思うと今更ながら同情する。
その後、ゲームの進化とともにマシンも2、2+、turboRへと進化(さすがに自腹で購入)するが、
グラフィック用に使う事は殆どなかった。
MSX2のグラフィック能力にも限界を感じ、Machintoshを購入したのだ。
それから15年、MSXとともに歩んだ旅(ほとんどゲーム)はデザイン業を営む今、ボクの最も大切な思い出である。
スタッフより:コンピュータグラフィックがまだ今ほどポピュラーでなかったころ、MSXはCG入門機としても注目されました。グレードが上がるたび進化するグラフィック性能に歓喜したものです。
宮城県:Sさま
はじめて触れたパソコンが CASIO MX-10。
その後も数台の MSX に触れていましたが、MSX がなかったら、今の自分はなかったかもしれません。(現在 IT 系の自営業を営んでいます。)
最近のレトロブームと共に MSXPLAYer に触れ、MSX との再会を得ると共に MSX の情報サイトを立ち上げ現在に至ります。
今後も機会があれば MSX と活用していきたいと思っています。
スタッフより:レトロゲームブームにより、近年見直されているMSX。まだまだ話題豊富なMSXの情報を、当サイト共々よろしくおねがい致します。
東京都:Sさま
80年代初頭、当時小学生だった私は、昼休みになると図書室に足を運ぶ毎日を送っていた。
お目当てはマイコン誌。
穴が空くほど広告を眺め、まだ理解出来ない記事を必死に読み、ゲーム画面に胸ときめかせた。
親にねだってようやく手に入れたマシンは独自規格の国産機。
雑誌に掲載されるゲームは他機種向けのものが多く、たびたび悔しい思いをしたものである。
MSXが登場したのは、それから1、2年後のこと。
各社共通規格という前代未聞の仕様に大いに感心し、喉から手が出るほど欲しかった。
しかし、もはやもう一台買ってくれと親に頼むことは出来なかった……。
それから25年が過ぎ、念願のMSX(それも1)をようやく手に入れた。ちょっとした故障を直し、分解清掃してやると不具合なく動く。
動作速度は現在のデュアルコアなどとは比べるべくもないけれども、のんびりと過ごしたい休日にはうってつけのおもちゃとなってくれるのである。
スタッフより:大人になりあの頃より余裕ができた今だからこそ、息を吹き返したMSXと休日を楽しみたいですね。
埼玉県:Nさま
初めてMSXに触れたのは、小学校5年生の頃だったと思います。
最近のゲーム屋ではTVゲーム機が店頭で遊べる様になっていますが、当時はMSXが置いてありました。
本体もカセットも鎖で固定されている事もなく、とてもおおらかな時代でした。
わざわざ家から自転車で片道30分かけて、「PRINT」と「INPUT」、「GOTO」を使ったお決まりの無限表示プログラムを打ち込んだものです。
たまたま来ていた友人が名前を打ち込んでしまい、「○○ハ オオバカモノデス!!」の無限表示の止め方が分からずに、焦っていたのには笑いました。
中学生1年生になる頃に、MSXを持っている友人が現われました。
当時人気があった『ハイドライド』を持っていたので、解くまで通わせて貰いました。
テープ版でしたがDR−20を使い倍速でダビング、それを倍速ロードしていたので、起動まで1分半くらいだったと記憶しています。
これらがささやかな思い出です。
スタッフより:箸が転げても楽しかったあの頃、MSXはほんとに楽しいおもちゃでもありました。古き良き思い出ですね。
長野県:Iさま
二十年前のことだ。
私は名古屋の大須に近い現場事務所で働いていた。
ある日、一人の社員がニヤニヤしながら、「大須で安売りしてたから買っちゃったよ」と一台の中古パソコンを買ってきた。
それは日立製のカセットデッキ内蔵のMSXだった。
麻雀ソフトも一緒に買って来たので、たちまち現場事務所はゲームセンターへと姿を変えた。
不思議な物で、やっていることはファミコンと変わらないのに、キーボードが付いたパソコンというだけで、インテリなハイテクな感じがしたのである。
それから、MSXを買うことが伝染病のように事務所に蔓延して、私を含めて五人ほどが大須で購入した。
昼休みのゲームは当たり前、雑誌を買っては交替でゲームのプログラムを入力したりと、いい歳をしたオヤジたちは小学生のように盛り上がったのである。
私は今、退屈なWindowsマシンを触りながら、熱病に冒されたような、あの時代を時々思い出すのだ。
スタッフより:MSXは大人も魅了してやまないパソコンとして存在していたのですねえ。
栃木県:Sさま
あれは昭和も終わりにさしかかってた頃でした。
当時中学生だった私は、ウォークマンが欲しくて父親にねだったところ、買ってもらえることになり、喜んで父親と一緒に近所の電気屋へ向かいました。
当時はまだまだカセットテープが主流の時代、ウォークマンも2,3万くらいする高級家電だったんですが、いろいろ見てまわっているうちにパソコンコーナーへと。
ふと見渡して私の目に飛び込んできたのは「MSX2 HB-F1 19,800円」の文字。
えっ、桁間違えてるんじゃないのか、とびっくり。と同時に欲しいという衝動が。
い、いや、いかんいかん。
今日はウォークマンを買いに来たんだ、と思い直すがその隣りに置いてあったのは『ガリウスの迷宮』のパッケージ。
気づいたときにはレジで会計をすませていた私がいました。
もちろん両手にF1本体と『ガリウス』をかかえて。
私がMSXにのめりこんでいくことになったきっかけは、こんな何気ない選択でした。
スタッフより:携帯カセットオーディオが大人気だった時代。MSXだってパソコン、そんなに安い家電ではありませんでした。いい買い物でしたね。
愛知県:Oさま
高校時代のこと、BASICの勉強をと思いMSXをマイコンとして購入しました。
雑誌に掲載されているサンプルプログラムを打ち込んでは動かして楽しんでおりました。
ただそれだけで感動でした。
ゲーム機としても、ファミコンと時期が重なると思いますが、それが無かった我が家にとっては、ゲームを提供してくれる唯一のマシンで、カセットテープのADVゲームの謎を家族みんなで考え、長ーいロードの後に表示される次の絵にワクワクしたものです。
そしてMSX2では更に表現力が増しMSXの時より更に楽しませてくれました。
結局ファミコンは買わず終いです。
使用環境は、TVにRGB接続をしていたのでにじみの無い綺麗な大画面で、専用モニターの必要が無かったのは良かったです。
その後、ハードは購入しませんでした。
ゲームメインでしたが、家族みんなを楽しませてくれた最初で最後の唯一のマシンです。
スタッフより:手軽にテレビにつないで楽しめるパソコンであることも、MSXの特色でした。ゲーム専用機には無い楽しみを家族で共有していたなんて素敵ですね。
京都府:Yさま
私は韓国から来たMSXユーザーです。
私は現在、日本で法律の勉強をしていますが、今私をここにいさせたのは他でもなく、MSXという存在でした。
小学生になったとき、親は私に韓国製のMSX1(デウ電子製の「DPC−100」、通称「IQ−1000」)をプレゼントしてくれました。
当時、韓国のパソコンソフト産業はまだ成熟しておらず、市販されているソフトの大半は日本製でした。
当初、画面に表示される文字が日本語であることすら知らなかった私ですが、次第にその意味内容を分かるようになり、また、これらのソフトが日本から来たものであることを知るようになりました。
そしてMSXを通じて、私は日本語を覚え、日本に関して興味をもち、日本人の友達に出会え、MSXのルーツを追いかけるかのように日本にやって来たわけです。
一人の人生をここまで動かした存在、それがMSXであります。
スタッフより:メイド・イン・ジャパンのMSX規格ですが、本体は韓国やブラジルなど、さまざまな国で開発・発売されていました。日本発のPCながら海を越え、色々なひとの人生に関わり、繋がり、輪を作っていたわけですね。
埼玉県:Gさま
親父の仕事で連れられ行った建設機器の見本市会場で、事務機リース業者のブースの隅にひっそりと置かれていたのがV−10だった。
初めてパソコンを触る私の興奮した様子に、親父はその見本品を持ち帰れるように交渉してくれた。
本体にその時ささっていたのは『けっきょく南極大冒険』。
これを素晴らしい奇跡、と言うのは大げさだろうか。
単色ながら特徴をとらえたキャラクター、抜けるような青空と白い氷の世界を失踪する爽快感、そして耳心地よいPSGの音色。
当時アーケードゲーマーだった私が、安いプライドで遠ざけていた家庭用ゲームとの距離を縮めてくれた存在。
そしてプログラムや絵描きという、創造の楽しさや、統一規格故の拡張性と可能性を見せてくれた存在。
あれからほぼ途切れなくコンピュータと関わりを持ち、気がつけばゲーム業界の端にもう20年……現在進行形で、あの原体験の熱気の中に、今も私は『いる』のだ。
スタッフより:当時アーケードゲームと家庭用ゲームには雲泥の性能差がありました。MSXの魅力はそんな性能差さえ乗り越え、コンピュータに関わる仕事への架け橋となったのですね。
愛知県:Nさま
初めてMSXが欲しいと思ったのは高校の修学旅行、ホテルの売店で見かけた時です。
なぜ土産売場でMSXを売るのか疑問ですが、カシオのPV10、19800円ゲーム2本付。
買えない事はないけれど買ったらそこで予算は尽きるという状況。
どうする?と思考が作動した理由は、修学旅行で有り金はたいてパソコンを買う男として伝説になれるという捨身のうけ狙いと、部屋のテレビに繋げれば皆喜ぶので人気者になるぞ、という打算。
元々MSXいいなという気持ちはありました。
目の前に売っていて買えるお金があったら迷う事は自然でしょう。
その場所はともかく。
自由時間中ずっと考えていた時、ふと付属のゲームは面白いのか?と疑問が。
もしつまらなかったら皆から総スカンな上に文無し観光巡り・・。
リスクを天秤にかけた結果、購入は断念。
でも、もし3万円あったら買っていたかも。
スタッフより:もしも3万円あったなら……!しかし何故そんなシチュエーションが、修学旅行中に…(笑)
神奈川県:Sさま
MSXとの出会いは20数年前。
当時バンドをやっており作編曲に使えるコンピュータに興味津々。
とはいえPC98はちょっと高いし、88にするか…そんな時に楽器店で目にしたのがヤマハのCX7Mでした。
これが実に面白い。
音符を並べるとその通りに音が出る。
考えてみれば当たり前ですが、それはもう夢中になりました。
使い込むうちに問題が。
込み入った部分の演奏が遅れるのです。
高校で少しだけコンピュータをカジった私は、これはソフトの問題であろうと判断。
勿論違いますが当時は真剣にそう思い込み、自分で書くべく勉強を開始。
メモリーダンプをそのまま読めるようになった頃にはコンピュータ自体に夢中で音楽はもういいや、と。
今だから解りますが、MSXは初心者が勉強するには最適な環境で独学でも理解し易かった、という事が大きかったのでしょう。
その後はソフト会社に転職、今もプログラマとして糊口をしのいでおりますが、これもMSXのお陰でしょうね。
スタッフより:シンセサイザーが低価格化し、テクノポップ・ブームに沸いた80年代。DTM入門機の先駆としても、MSXは人気がありましたね。
新潟県:Iさま
ファミコンブーム全盛期、当時中学生だった私はゲーム嫌いの親の教育方針から、ファミコンを買ってもらえず、代わりにMSXを買ってもらっていました。
当然ゲームソフトも買ってもらえるはずもなく、一生懸命プログラムを組んでは自分で作ったゲームを自分で楽しむという寂しい行為を繰り返しておりました。
そんなある日、となりのクラスの生徒が、私がやりたくて仕方がなかったゲームソフトを持っているという話を聞きつけた私は、半ば強引にソフトを借りることに成功しました。
早速ゲームをしようとしたのですが、なぜかMSXのACアダプタが見つからない。
仕方なく近くにあったACアダプタで接続をして…次の瞬間私の目に入ってきたのはゲーム画面ではなく、「ポン!」と言う破裂音とともに白煙を上げるMSXでした。
「パソコンってほんとに爆発するんだ…」
私が中学時代に得たもっとも代償が高く、もっとも役に立たない知識です。
スタッフより:炎上して大きな事故にならずに良かった…と思いたいですね(汗)